エクストリーム




平和の反逆・キューバを再建させた移動の自由
A Rebellion of Peace


私自身、スケートボーダーではありません。しかし、スケートボードの世界とカルチャーにどっぷりと浸かってる事は間違いないでしょう。特に最近流行の兆しを見せるキューバのスケートボード・カルチャー、スケートボーダー、そして彼らのライフスタイルには大いに感化されています。

他人に話すと笑われる事もあるのですが、キューバでのシンプル・ライフを生きるスケートボーダー達は、ハードルや規制の多いこの小さな島のなかで、人々に大きな影響を与えているように思えてならないのです。以前、誰かが「政府があなたから取り上げられない物の一つがモビリティー(移動の自由)だ」と言ったのを覚えてるのですが、現在のキューバではまさしくその通りの事が起きているのです。

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ボードを持ってなくても想像力で遊ぶローカルボーイズ Photo: Rene Lecour

現在キューバでは新しいムーブメントが起きてます。このムーブメントはアメリカ政府、またはゲリラ部隊によって作られた物ではなく、4つの車輪の付いた板から生まれたムーブメントであり、それは日々ライフ・スタイルへと進化しています。

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ハヴァナにある現在まだ建設中のDIYスケートボードパーク Photo: Rene Lecour

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アミーゴ(友人)達とスケートパークを作るDIYパーククリエーターのJakub Cheq Photo: Rene Lecour

爆発寸前の情熱は道を歩いてもひしひしと感じる事が出来ます。若干25歳、ハヴァナ在住で新世代の伝承者Tito(ティト)は「今のキューバではどんな夢でも叶う、もし君が信じてる事があれば、我々で必ずそれを実現させてみせる。スケートボード・コミュニティーのみならず、今ではグローバルにオーガナイゼーションのサポートも受け、この島にも沢山の次世代リーダー達が誕生してるんだ」と熱く語ってくれました。

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アミーゴスケート創設者Rene Lecour Photo: Emmy Park

このムーブメントを語る上で最初に名前を挙げるべきは Rene Lecour・レネー・リコーだろう。レネーはマイアミにあるスケートボード・ショップのオーナーであると同時にマイアミにあるスケートボードパークのマネージャーでもある。彼は6年ほど前、息子である Kaya Rain (カヤ・レイン)に見せられたキューバのドキュメンタリー番組を見て、キューバの枯れゆくスケートシーンをなんとかせねばと、立ち上がり、地元マイアミでドネーション(寄付)を募り、それを元に持てるだけの中古ボードや部品を持ってキューバへと渡ったのです。

勢い任せでキューバに降り立った彼は、そこで地元のスケートボード・コミュニティーをどうやって探せば良いのか疑問でしたが、ホテルに入り、荷物をバラしていた時に、息子のカヤが迫り来るスケート集団の音に気づき、急いでホテルから駆け下りて行くと、そこにはキューバでのスケートボーダーのパイオニア「Che Alejandro Paydo Napoles (チェ・アルジャンドロ・ペイドゥ・ナポルス)」と、彼の後ろにはハヴァナ在住のスケートボーダー達が立っていました。

チェか?と聞くと、「そうだよ、アミーゴ!!」と握手の手を差し出してきました。アミーゴ・スケートの歴史的な1ページはこうして始まりました。

チェによると、初めてスケートボートがキューバに入ってきたのは1981年で、ロシア、ブルガリなどから帰ってきた革命家達が自分の子供達用にお土産として持ってきた物が最初。当時はこれが新しいジェネレーションに、新しいライフスタイルへの種が蒔かれたものになるとは誰も思いもしませんでした。

チェ自身は9~10歳頃、アカプルコ公園でスケートボードに乗るグループに遭遇したのをきっかけにスケートを始めました。当時、キューバの歴史的革命家だった「Che Guevara / チェ・ゲバラの孫で、同じ年だった「Canek Sanchez Guevara / カネック・サンチェズ・ゲバラ」もスケートボードにはまっており、二人はスケートボードを通して自然と仲良くなって行きました。

アカプルコ公園でのスケートボード・シーンは少しずつ大きくなり、30人ほどの長髪グループとなりました。彼らは朝と夕に公園で落ち合い、ロックミュージックを聴き、ダウンヒル、そして新しいトリックに連日挑戦し続けます。「上手いか、下手かは関係ない。友達とどれだけ楽しむかが大事なんだ!」と現在42歳のチェは言います。

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ハヴァナ初ダウンヒルコンテストをサーフスタイルで演じたローカルアミーゴ Yojani Perez Photo: Emmy Park

レネーのドネーション以前、キューバでのスケートボードと言えば、ベニヤでボードを切り出し、1940年代のローラースケートに付いてた鉄製の車輪を装着した、それはお粗末な物で、当時チェらもボード加工が出来る機械を自ら作ったりしていました。

ドネーションのみに頼ってる現状では、ボードが折れたりした場合に、次のスケートボードを積んだ船が着くまでボードが無い状態になります。このような環境のもと、ずっと歩道や道路でしかスケートボードに乗ったことのないキューバのスケーター達に転機が訪れる。2005年、レッドブルのサポートを受けて、スケートボード・ランプが初めて導入される。その後には移動式のランプなども登場。DIYスケートボード・パークが古い排水路などにありますが、コンクリート部分などは最近になってようやく完成したような状況です。

キューバのライダー達にとってのパークとは、歴史を背景に持つ美しい街中で、これからも彼らが集う生活の場なのです。目の前を通り過ぎる1960製の車のバンパーに捕まったりと、島でのこのような景色がなくなる事はないでしょう。

An Evolution (革命)

これまで、不良、落ちこぼれ、反逆者、などの見方をされてたキューバのスケートボーダー達は、今ではリーダーと称され始めています。キューバの新しい文化を担う反逆から生まれたリーダー達なのです。

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アミーゴ主催ストリートコンテスト Photo: Emmy Park

2015年6月21日、アミーゴ・スケートは「Go Skateboarding Day / スケートボードに乗ろうよ」を開催。約60年ぶりに100人以上のスケートボーダーが集まり、アメリカとキューバの国旗を掲げ、11マイル(約18km)に及ぶループコースを周る祭典となり、地元の人々は窓から顔を出し、このイベントを楽しみました。

当初、警察によるイベント閉鎖の不安から、皆、速いペースで滑ってたものの、いつになっても警察からのお咎めが無いどころか、警察も見て見ぬ振りでこの日を祝ってくれました。ゴール近くでは10歳位の子供が「Its Happening Its Happenning ! / 本当に起きてるんだ、これは本当に起きてるんだ!」歓喜の声をあげていたのがとても印象に残ってます。

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警察車両の黙認の中、夕日に向かって滑るアミーゴ Photo: Emmy Park

シンプルなキューバでのライフスタイルでありながらも、映画のようなエンディングで終えたこのイベント。マレコン通り沿いでビールをかたむけ合うライダー達。このイベントが発端になり、この2ヶ月後にはキューバのアメリカ大使館にアメリカの国旗が掲げられたのです。レネーはこの日は自分の人生の中で最高の日だった!と答えてくれました。

このイベント以降、アミーゴ・スケートはカナダとアメリカからアーティストを招致し、音楽とスポーツとアートの複合イベントを企画中であると同時に、政府と新しいスケートボードパークの建設に向けての交渉も始めました。現在ではアミーゴ・スケートは数ヶ月に一度、国外に出る事も許可されるようになりました。

5月。ティトと数人のスケートボーダーに、パリ在住のアーティスト「Steeve Bauras・スティーブ・バウラス」の作品「3Kプロジェクト・フォー・ハヴァナ・ビエナル」をハヴァナの芸術祭で作れるようサポートして欲しいとの連絡が入り、彼らは、ランプも音楽を流すスピーカーも全て黒に塗りつぶされた室内スケートランプを製作しました。

全てを黒にした理由と、そしてバックで流した「人種差別を問う映画」についてスティーブは「僕にとって黒と白はキャンバスそのものさ。ほとんどの人には「白」と「黒」しか見えないかもしれないけど、俺にはいろんな人が見えるよ」と語り、「何故スケートボーダーをそこに?」と聞くと、スティーブは「それは彼等が人種の壁を越え、様々なタイプの人間をつなげてきたと同時に沢山の壁を壊してきた文化だからさ」と答えてくれました。

すでに60年以上も前に起きた事を、今なお感じる事が出来るキューバでは、現在でもゲリラでありながらヒーローでもあるチェの顔をいたるところで見かける事ができます。彼はキューバの肖像なのです。

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60年後の今、新しい肖像を島中で見かけるようになりました。このシンボルマークは2台のスケートボードがハート形にデザインされ、2カ国の国旗が握手してる物で、壁などにスプレーで書かれていたり、このシンボルをタトゥーとして自身の体に入れている若者もいます。

このシンボルは「自由」「友情」そしてキューバの人達にとって、これからどのようにも描ける「白いキャンバス」として様々な意味を持つ物であり、現在の島にある全てのボードにこのシンボルマークが描かれていると言っても過言ではないでしょう。

キューバ初日の夜、午前3時。私はロドニーというローカル・スケーターと、彼のラジカセから流れる音楽を聴きながら、マレコンに向かって歩いていました。時折、新しいトリックを試しながら通り過ぎるスケートボーダー、綺麗な星空、深夜の静けさの中に流れる平和な時間、、、、、。これだ!翌日私はレネーに電話し「わかったよ!この島の魅力が!」と伝えました。

アミーゴ・スケートのミッションについて詳しく知りたい方はこちら www.amigoskate.com

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この記事は ConcreteWave Vol14 No2 Fall 2015 A Rebellion of Peace の抄訳です。



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